説教要旨 2025/10/12

          

     「見えないものに目を留める」

第二コリント4:16~18       井上直子

◆2025年教会標語「日ごとに新しくされて」

からのシリーズ3回目です。

◆コリントの教会へこの手紙を書いたのは、伝道者パウロ(共著:伝道者テモテ)です。パウロはキリストのゆえに迫害を受け、壮絶な経験をしています。4:17で、彼は患難を「今の時の軽いもの」だと言います。彼にとっては、患難は「軽いもの」。そして、「重いもの」とは、「測り知れない」「永遠」「栄光」のものであると告白しています。

◆4:18では、「見えるもの」は「一時的」であり、「見えないもの」は「いつまでも続く」そして私たちは「見えないもの」にこそ「目を留める」と言います。

◆4:16~18の対比している言葉は、パウロが「目を留める」ものが浮き彫りにされています。

「外なる人」  「内なる人」

「軽い」     「重い」

「一時的」   「永遠」

「患難」     「栄光」

「見えるもの」 「見えないもの」

「一時的」   「いつまでも続く」

◆「見えるもの」とは、私たちが、視覚、聴覚、触覚等で認知できるもの、苦しみ、喜び等の経験、業績、才能、権力、地位、名誉、財産、、失敗、挫折、喪失、病等も「見えるもの」と考えることができます。

◆「見えるもの」と「見えないもの」を識別するキーワードは「永遠」「栄光」といえるでしょう。「永遠」「栄光」という言葉が表していることは、神様ご自身のお姿、神様のご性質そのものです。

◆罪の中を歩む人は、神様の「栄光」を見ることができません。罪のない神様の聖さ、その「栄光」に、罪人は耐えられないのです。しかし、イエス・キリストは、私たちの罪を十字架で贖い復活によって、新しいいのちに生きる道、神の「栄光」を見る道を開いてくださいました。

◆イエス・キリストを信じる者は、新しいいのちの希望に生き、日ごとに新しく神の「栄光を」を見る者とされていく歩みに招き入れられます。

◆聖書は決して「見えるもの」を否定してはいません。「見えるもの」を造られた神様は、「見えるもの」を通して見えない神様のご性質を教えてくださいます。聖書には、神様が人間のために用意された視聴覚教材があふれています。

◆4:18の「目を留める」という言葉は、聖書の原語ギリシャ語では「スコペオー」といい、「スコープ(顕微鏡、望遠鏡)」の語源になっています。注意深く見る、注視する、心を向ける、注目する、価値を見出して意識を集中する、という意味があります。

◆「見えないもの」「重い」「永遠」「栄光」に「目を留める」歩みの中で、神様は私を通して、私たちを通して、教会を通して、日ごとに新しく、ご自身の「栄光」を現してくださいます。