説教要旨 2026/2/22

「つまずき」

マルコ14:26~31           井上聡師

●つまずく=失敗すること

人がつまずくとは、どういうことかと言いますと、倒れることであり、転んでしまうという事であります。もう少し言葉を変えて言うならば、上手に歩くことに失敗するということです。今日見ていきますのは主イエス・キリストの弟子たちがつまずき倒れ、失敗していく出来事なのです。

●喜びから失敗へ

弟子たちは最後の晩餐でイエスからの愛を受け取り、喜び勇んで賛美の歌を歌いました。しかし、このあとオリーブ山で弟子たちは大きな失敗を経験することになるのです。思いもかけず、突然のようにつまずき倒れる事になるのです。私たちにとっても、失敗やつまずきは突然のように訪れる出来事であります。

●イエスにつまずく

なぜ弟子たちは、イエスにつまずくのでしょうか。それは彼らがイエスに大きな期待をかけていたからであります。その期待通りにならないと分かった時に人はつまずくのです。イエスは、 自分の願ったとおりの神でもなければ、救い主でもなかった。弟子たちが、そう考える時につまずきが起きてくるのです。

●私はつまずかない

自分だけは大丈夫と思い込んでいたペテロですが、他の弟子たちも同じように考えていました。安心や安全にしがみつこうとする時、人は問題や危険が迫っていることを認められなくなるのではないでしょうか。誰もがつまずき倒れることを望まないものです。失敗し、挫折することを容易に認められないものなのです。

●つまずきからの立ち上がり

しかし主イエスは愛する弟子たちのためにあえて、そのことを前もって伝えておいたのです。彼らが、 つまずき倒れることを率直に伝えたのであります。なぜでしょうか。それは、弟子たちがつまずき倒れて、そこからもう一度立ち上がるためだったのです。

弟子たちがつまずくと同時に実はイエス自身もまたつまずくことになるのです。十字架こそがイエス・キリストにとって最大のつまずきとなりました。イエス・キリストは十字架の上でつまずき、倒れたのです。十字架の上で自由を失い、失敗と挫折を味わったのです。それは弟子たちがもう一度立ち上がるためであり、また私たちが立ち上がるためでもありました。

●もう一度一緒に

私たちは、つまずき倒れ、失敗と挫折を味わいます。けれども、そこから立ち上がることが出来ます。主がよみがえり、復活されたように、私たちにもまた立ち上がる力が与えられます。イエスは「あなたがたより先にガリラヤへ行く」と言われました。主イエスはガリラヤで弟子たちを待っておられます。同じように私たちのことをも待っていてくださいます。そして、もう一度そこからやり直そう。もう一度一緒に歩いていこうと言ってくださるのです。