説教要旨 2026/1/4
「主を慕い求め」
第一サムエル7:1~6 井上聡師
●**名の知られていない人々**
キルヤテ・エアリムという小さな部族はイスラエルでまったく名前が知られていない人々です。アビナダブと、その息子エルアザルの親子も、聖書の中では特別な地位もなく、特別な力も持っていません。しかし神の恵みはこれらの人々に注がれようとしています。特別な地位も力もなく、名前も知られていないごく平凡な人々。ここに神の恵みがあるという事、その事をまず覚えておきたいと思うのです。
●**主の箱**
彼らにゆだねられた大切なものは、主の箱でありました。神と人を結ぶ契約を象徴するものが、主の箱、契約の箱であったと言われます。
この箱の中に3つのものが入れられていました。
①十戒の石の板(神の言葉)
②マナの入った壺(神の養い)
③アロンの杖(神の導き)
主の箱に入れられていた3つのものは神の臨在の象徴でありました。ところが、宿敵ペリシテに敗れたばかりか、戦場にあった主の箱を奪われるという大失態をイスラエルは経験するのです。その後、主の箱は不思議な方法でイスラエルの元へと返されることになります。そこへ登場したのがキルヤテ・エアリムの人々でした。彼らは主の箱を運び上げ、守り、その箱を自分たちの元へ迎え入れるのです。
●**空白の20年**
主の箱を取りもどした。でも現実は何も変わらなかった。20年もの間、ペリシテの支配から彼らは救われることがなかったのです。私たちの信仰生活にも同じようなことが起きるのではないでしょうか。信仰は持っている。聖書を読み、神に祈り、礼拝にも出席している。けれども何も変わらない現実を抱えたまま何年も何十年も時間だけが過ぎてしまった。
主の箱はあるのに、主の力や働きを感じることがない。信仰はあるのだけれども、どこか心の渇きを覚える。しかし、この20年という時間がイスラエルの民には必要なものでありました。霊的な渇きが、彼らにとって大切な時間となりました。なぜならば、イスラエルの全家が、主を慕い求めるようになったからであります。
●**主を慕い求める**
慕い求めるということは、泣き叫ぶとか、渇きを覚えるというニュアンスの言葉です。どうして渇きを覚えることが大事なのか。それは、神様という存在が自分にとってなくてはならないものだと実感するためであります。私たちが「主を慕い求める」ようになるには、多くの場合、自分の力や方法を使い果たし、途方に暮れる時間が必要です。そのような時に初めて、人は渇きを覚えて主を求めるようになるからです。
空白の20年間がイスラエルの全家に主を慕い求める心を起こさせたのです。自分に限界を覚え、自分の力ではなく、神の力でなければどうすることもできない。そう思えた時に彼らは主を慕い求めるようになったのです。主を慕い求める心に主の恵みは必ず注がれます。主の恵みを今日も受け取っていきましょう。
