説教要旨 2026/2/15

「神の国に入る」

マルコ9:42~50井上聡師

●神のことばは生きている

今日の聖書のことばは、本当に厳しく、また恐ろしいとさえ感じてしまう言葉が並んでいます。神様のことばは、私たちの心の傷を癒し、包んでくれるような一面がありますが、その一方で、私たちの心を突き刺すようなことばもあるわけです。大変厳しい言葉でありますが、神様が示しておられるものが何なのか、それを受けとめていけたらと思います。

●つまずきを与えるような者

イエスは弟子たちに、あなたがたのことをつまずかせる者がいるという大切なことを伝えようとしているのです。つまずきとは文字通りに取れば、つまずき、倒れてしまい、歩けなくなるということです。つまり、私たちが主イエス・キリストを信じ、従っていくことを妨げ、妨害する者がいるのだと言われるのです。しかし、弟子たちをつまずかせる者は他にも存在します。それは、弟子たち自身の内に隠されているものです。

●つまずきの手、足、目

イエスは、つまずきとなるものがあなたの内にある。それはあなたの手、足、目であると言われます。手は人を愛し、神を愛するために用いることが出来るすばらしいものですが、もし手があなたをつまずかせるのであれば、それを捨ててしまいなさいとイエスは言われるのです。人の足も同様に、神様の悲しまれる場所へ自ら足を運んでしまう時、自分をつまずかせるものとなります。また、目は私たちの人生を豊かにすることもあれば、誘惑に目を奪われ人生をダメにすることもあるのです。それゆえイエスは、それらがあなたをつまずかせるのなら、捨ててしまいなさいとまで言われるのです。

●ゲヘナではなく神の国へ

主イエスが心から願っていることは、私たちがゲヘナ(滅びの場)ではなく、神の国に入ることです。死ではなくいのちに入ることであり、滅びではなく救いに入れられるということなのです。

●私たちのための身代わり

弟子たちは誰もがつまずくことなど考えていませんでしたが、十字架を目前にして散り散りになった羊のように彼らはつまずきました。私たちは主イエスのあとに従っていきたいと願いますが、決してつまずかないという自信も確信も持つことは出来ません。

しかし、つまずき倒れた弟子たちを立ち上がらせ、いのちの道へ導いたのは主イエス・キリストでした。自らのいのちを差し出し、投げ捨てられたのは主イエス・キリストご自身だったのです。私たちが不完全な姿で入るのではなく、主イエスが私たちのためにいのちを投げ出したことによって、私たちは神の国に入る者とされたのです。

主イエスは、私たちの手を支え、私たちの足を強め、私たちの目を開かせてくださるお方です。神の国に入る道はすでに開かれています。その道を主イエスと共に、主イエスを信じてまっすぐに歩き続けていきたいと思います。