説教要旨 2026/1/25

「主に叫んだ」

第一サムエル7:7~11        井上聡師

●叫ぶことの大切さ

私たちは叫ぶことは良くないと教えられ、育てられてきました。怒りや感情にまかせて大声を出してはならない。叫び声を挙げて迷惑をかけてはならない。確かにそれは正しい事なのでしょう。しかし今日私たちが心に覚えたい事は、主に向かって叫ぶことの必要性です。主に叫ぶことがなぜ大事な事であるのか、そのことをサムエル記を通して学んでみたいと思います。

●戦いと恐れ

イスラエル人はミツパに集まりました。それは自分自身を見つめ、自分の魂を見張るためでありました。しかし、ペリシテ人はイスラエル人が戦うために集まったのだと疑い、攻め寄せてきました。イスラエルの民は彼らを見て恐れました。

私たちにとって礼拝は自分自身を省みる時であり、そこがミツパなのです。けれども教会から出て行くなら、そこに戦いがあります。健康や生活を守るための戦いがあります。私たちもそのように生活の中で起きてくる戦いを恐れます。

●主に叫んだ

恐怖の中でイスラエル人が選び取ったのは、信頼出来る誰かに助けを求めることでした。彼らはサムエルに「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように」と言いました。

神様は祈ることも叫ぶこともしないのに一方的に助けるということをなさらないお方なのです。サムエルが主に叫び、その叫びに主は答えられたのです。問題が起きた、困難がやってきた、そんな時私たちは主に叫んで良いのです。今現実に苦しみを感じている、まさにその時、心の中で叫んでも良いのです。声にならない祈りを主は聴いていてくださいます。

●「主はその日」―物事の中心に主を据える

サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人が近づいて来ましたが、主はその日、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされました。

ここで起きたのは、物事の中心に主を据えるということです。それは神様に物語の主役になっていただくということです。自分がその日何をするのかではなくて、主がその日何をされるのか。主がこの問題をどのように取り扱われるのか。ひたすら主に信頼し、ゆだねることです。礼拝とは主なる神を中心に置くことです。目に見えない神が私の生活の中で働かれることを信じ、主に期待していくことなのです。

●神の物語の中に自分を置く

礼拝とは物事の中心に主を据え、主に物語の主役になっていただくことです。その時、私たちは神の物語の中に自分自身を置くことになるのです。サムエルが叫んだときに主が答えられた。主が働かれ、主が戦われた。それを証しする神の物語です。

主が立ちあがり、力を働かせて事を行われました。それを見たイスラエルの民も立ち上がり、行動を開始するのです。今週も主が働かれ、主が戦ってくださる。だから私たち自身もまた立ち上がり、前に進み、戦っていくことが出来るのです。