説教要旨 2025/10/26


「重荷をゆだねる」
詩篇55: 22              井上 聡

●導入
みなさんは、普段どのような生活を送っておられるでしょうか?みなさんも疲れることがあると思います。仕事、子育て、家庭生活、友人関係、いろんな時にいろんな疲れを感じることがあるでしょう。今日は、そんな弱さを感じることのある私たちが様々な重荷を主にゆだねていくことをごいっしょに考えていきたいと思っています。


●自分を飾ろうとすると
人生において一つの型に自分を押し込もうとすると、無理が生じ、どうしてもその型に収まらないことがあります。そして、そういう状態に陥ると必ずどこかに痛みが生じるのです。もし、心や体に異常を感じるなら、それはまさに合わない型に自分を押し込めようとしているサインであると言えるでしょう。

●イメージ
現代はイメージの時代だと言われます。しかし、イメージばかりを追いかける生き方はやがて、疲れてきます。イメージを作ることを目的としているので、その物や出来事をを楽しむどころではありません。イメージ作りに四苦八苦していると、ついつい無理な背伸びをしてしまいます。イメージ作りのために背伸びをしていると必要以上に疲れてしまうものです。イメージばかりを追いかけると、人生が空回りしそして背伸びをして、ついには疲れてしまうようです。

●余分な荷物を持ちすぎると                               私たちは人生に重荷を感じることがあります。また、疲れてしまうことがあります。その理由の一つは、不必要な荷物を持ちすぎているところにあるようです。
そんな心の重荷を神様にゆだねなさい、任せてみなさいと聖書は勧めるのです。自分では担うことも運ぶことも出来ないほどの重荷がある。それを主に任せよ、主にゆだねよと聖書は勧めるのです。


●救われた女性
ある時、一人の女性が救われました。この方は、長いこと新興宗教で修行をしてきた人でした。しかし、とうとう修行することに疲れ果ててしまった。そんな時、教会に行き、聖書の話しを聞いて救われたのです。そして新興宗教を辞める決意を伝えたところ、次のように言われました。
「あなたが、この修行を辞めるのは、あなたに弱さがあるからです。もし、ここで辞めてしまったら、あなたは一生中途半端な生き方をしていくことになる。」
それを聞いて彼女は一言、「はい、その通りです。」と言いました。
自分の弱さを隠すように生きて来た女性。でも、罪の赦しと神の愛を知ってから、もう弱さを隠すことを辞めたのです。いや、あるがままの弱さを認めた上で受け入れてもらえることを体験したんです。これが聖書が伝えるところの福音です。
信仰を持つということは、何かをやり遂げて強い人になることではありません。自分を知って、こんな自分だからこそ神様よろしくお願いします、と言えること。それが信仰を持つということなのです。神さまは不必要な重荷を負わせる方では、ありません。自らが負うべき重荷は喜んで負っていきましょう。そして、不必要な重荷があれば、それを主にゆだねて、主の前におろして、そして平安をいただきたいと思うのです。