説教要旨 2026/3/8
「祈り続けなさい」
マルコ14:37~42 井上聡師
●眠り
ゲツセマネにおいて主イエスは祈りをささげられます。ところが、その祈っているかたわらで、何と弟子たちが眠り始めたというのです。彼らを擁護するならば、弟子たちは疲れていました。食事を取り、イエスの教えの言葉を十分聞いたために、突然の眠気に襲われたとしても不思議ではなかったと言えるのです。けれども、彼らは目を覚ましているべきでした。眠ってはならない時に寝てしまう。弟子たちは、そんな自らの弱さを思い知らされたのです。
●心とからだ
「心は燃えていても、肉体は弱いのです。」心と体は密接につながって影響を与え合うものです。私たちの心は自分の願いをかなえたい、自分が思ったとおりに生きてみたいと考えることがあるでしょう。けれども、それを妨げるのは自分自身の肉体なのです。やろうと思ったことが出来ず、やってはならないことを止められなくなる。だからこそ主イエスは目を覚まして、祈り続けなさいと言われます。人間の弱さや限界を超えたところに神様がおられる。だから祈り続けなさいと言われるのです。
●孤独な祈り
イエスが再び祈られた時、またも彼らは眠ってしまいます。その時ペテロたちは言い訳も出来ずに、イエスの前で沈黙するしかありませんでした。私たちはここで、主イエス・キリストが味わった孤独の苦しみを覚えなければなりません。イエスは誰一人として自分の側に立つ者もなく、たった一人で孤独のままに十字架に向かって歩き始めることになるのです。
●さあ、行くのです
「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。」主イエスは、祈ることも出来ず、起きていることも出来なかった弟子たちを責めているのでありません。彼らが眠りに陥り、休むための時間はもう終わりました。さあ、立ち上がって行きなさいと
言われます。もちろん、弟子たちの行先は十字架ではありません。弟子たちは、このゲツセマネから逃げ出すのです。自分たちの命が惜しくて、イエスのもとから去っていくのです。しかし、主イエス・キリストはここから十字架に向かわれます。たった一人でゴルゴタへ続く道を歩き始められるのです。
●ゲツセマネで見たもの
私たちがゲツセマネの園で見たものは、祈り続けるイエスと祈ることの出来なかった弟子たちの姿でした。それは、信仰を持ちながらも、自らの弱さに負け、自らの限界に押しつぶされる私たちの姿なでもあります。しかし、そのような弱さを持つ私たちを主イエスは責めることをなさいません。主イエス・キリストは、弱く、罪深い私たちを愛することを止めないお方です。私たちを愛するがゆえに、ご自身のいのちをささげてくださったお方なのです。
人間の弱さ、もろさ、限界が露呈される中でキリストは愛をあらわされました。その姿をしっかりと、この心に刻む者でありたいと思います。
