説教要旨 2025-9-28

「災害と終末」

Ⅰテサロニケ5:3~6    井上聡師

◆今月18日(木)の午後、茨城県内で豪雨と共に突風被害や県内だけで2万件に及ぶ停電が発生しました。私たちの日常の営みというものが、本当に守られ、支えられていることを改めて実感させられました。そして災害というものは、いつでも突然のように、思わぬ時にやってくるものだということを教えられる出来事でした。

◆みなさんは、5年前に突如として発生した新型コロナウイルス感染症あるいは、14年前の東日本大震災を覚えているでしょうか。 いずれの場合も、それは突然起きた誰も経験したことのない大災害でありました。聖書は平和で安全な世界がずっと続くとは言っていませんし、約束も保証もしていません。 むしろ、テサロニケの御言葉が示すとおり、突然のように日常が非日常に変わる時が訪れるのだ、と繰り返し警告をしているように思うのです。

◆いつどこでどのような災害が襲ってくるのか。私たちは、誰もそのような災害を正確に予測することが出来ません。ですから、災害というものは、いつでも突然なのです。人は急激な変化よりも「普段どおり」を優先して解釈しようとするため、危機感が鈍ることがあります。災害による危険が迫っても「自分だけは、大丈夫なはず」と勝手に考えてしまう心理があるようです。

◆しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。これは私たちが霊的に目をさまし、眠った状態ではなく、いつでも準備のできた者であることを期待する言葉だと言う事ができます。ここにある「暗闇」というのは、霊的に閉ざされ、心の眼が開かれていない状態を言うのでしょう。

◆もし神様を信じない人であれば、すべての事柄を人間を中心として考える事でしょう。しかし、神なしではなく、神有りの人生観を持つ人はそうではありません。その命の寿命が、何年なのか?その人が、どのようにして亡くなっていくのか?それらは、すべて生ける神の御手の中にあることです。もし、神様に対する強い信頼と信仰を持ち続けるならば、私たちは闇の中に置かれることは決してありません。神に信頼し、一日一日を神の御前に精一杯生きていくこと。それが私たちに期待されている事なのではないでしょうか。

◆大きな災害が起きる時、私たちは立ち止まらないわけにはいきません。でも同時に私たちは前に進む事が求められるのです。神がおられるから、私たちを愛し、どんな時でも最善を成してくださる神がいると信じるから、前に進むことができるのです。神の与えてくださる希望があるから、だから私たちは顔を挙げ、立ち上がって、前に進むのです。

◆まさにいま私たちは終末の時代を生かされているのだと考えるべきでしょう。その終末の時代を生きる者として、これからも神様と共に歩み続けていきたい。そう、強く思わされるのです。