[日本同盟基督教団 取手聖書教会]
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本当のコミュニケーションしてますか?

2005年 9月21日更新

おじいちゃん、まーだ?

 九州のある町で、おじいさんが危篤になり、3人の息子達が、東京、大阪、名古屋から家族といっしょに呼び集められました。 「お気の毒ですが今夜が山です。」と言う医者の言葉に反して、翌日も、その翌日も、そのおじいさんは意識不明のまま、病院のベッドで生き続けたのです。 次第に息子達はいらいらしてきました。それぞれ忙しい仕事を残して来ていたからです。気まずい雰囲気で家族が集まっていた待合い室に、末息子の5歳の男の子が入ってくるなりこう言ったのです。 「おじいちゃん、まーだ?」

 一瞬、みんなの表情が氷りつきました。「馬鹿、何てこと言うんだ!」と、口をおさえる父親の顔を不思議そうに見ながら男の子はこう言ったのです。 「おじいちゃん、まーだ良くならないの?」

 私たちはどうしても、自分の感覚で相手のことばや態度をとらえ、その本当の心の意味を知ろうとしない所に多くの悲劇と喜劇が生まれます。

心を見るということ

 人を理解するとはどういうことでしょう?  それは、その人が何を言ったか、何をしたかといった表面的なことにとらわれず、その人が本当は何を言いたかったのか、何をしたかったのかを、その人の立場になって考えることです。 聖書はこう言います。人はうわべを見る。しかし、主(神様)は心を見る。」(旧約聖書・Iサムエル16:7)  私たちはどうしても人のうわべを見てしまいます。表面だけで、人のことばや態度を判断し、批判します。 でも、神様は人の心をご覧になり、人の本当の寂しさや、恐れや、悲しみを理解して下さる方だというのです。

理解されてこそ

 山形県のある教会に、酔っぱらった高校生の男の子が、家族にかつがれてやってきました。 毎日酒を飲み暴れて困るので、教会で預かってほしいというのです。牧師は承知しました。 夜中に酒が覚めるとその高校生は、勝手に連れてこられたことに腹を立て、教会の公衆電話で母親を大声でののしり始めたのです。 「このくそ婆!ぶっ殺してやる!」教会の人たちは震え上がる中、牧師はその高校生の背中をじっと見つめながら、目から涙をこぼしていました。 翌日教会の人たちは牧師に聞きました。「あんな声を聞いて恐ろしくなかったですか?」。 牧師は答えました。「ぼくには、あの子の心の叫びが聞こえたんだ。『母さん、また俺を放り出すのかい?  いつだって、母さんは俺のことを人任せで放っておくんだ。今度はこの教会に俺を捨てるつもりなのかい?』その心の声が聞こえてきたら可哀想で…」 その教会で生活するうちに、その高校生の生活はすっかり変わりました。 なぜでしょう?態度や言葉ではなく、これまでだれにも分かってもらえなかった、自分の本当の心を理解してもらえたからです。

本当のコミュニケーションのために

 人と人との本当のコミュニケーションは、その人の心を知ることです。それは、聖書のことばによれば神様の視点で人を理解することです。なぜなら、神様こそ、人の表面を見ないで、人の心そのものをご覧になる、私たち人間の本当の理解者だからです。

 教会においでになり、ごいっしょに心と心のコミュニケーションを聖書から体験なさいませんか。あなたのおいでを心からお待ちしています。

牧師:山田洋一